■1992/05/?? 工事開始
 いよいよ設計図面も完成し、工事着工の日がやってきました。基本的に別宅の施工ですので自分でなんかやろうなんて全然考えてませんから、普通に現地の大工さんを紹介してもらい施工を委託していましたから、神主さんを呼んで地鎮祭をした時に初めて現地の大工さんにお会いしました。この大工さん実は現地では有名な宮大工さんだそうで、蓼科湖の近所にある神社を建てたような職人肌な棟梁だったんです。最初はそんなこと全然知りませんから、なんか設計図面見ながら建築士に文句言ってるし、変な大工だなぁと思って様子を見ていると、なんと建築士がやり込められています。

 おめぇよぉ、ここは7年に一度は大雪降るんだぜ。こんな柱でこんだけの屋根支えられんのか? ちゃんと雪の重み考えて強度計算したんか? おまけにこの梁でこの場所にドアつけたら梁が支えきれねじゃねぇか、どうなってんだあぁん? ってな感じで責める責める。なんだろうなぁこの人。と思いつつもらった名刺を見ると、なんと「一級建築士」の肩書きが。でもって、何気に建築士の名刺見たら「二級建築士」の肩書きが...^^; これはどうなることやらとハラハラしながら成り行きを見守っていると、結局大工としてはこんな図面では危なくて家なんか作れんから直して来い! いや、既にこれでOKが出ているからこれで作れ! と言い合いになってきたので、いったん出直しとしてこの場はお開きに。

 後日、大工さんから電話がかかってきて、こっちで図面ひきなおしたから多少設計が変わるが安心してくれ。材木も手持ちのがあるからこれを使うので費用の方も安心しろ。ってな感じで非常に頼もしいお言葉なので一も二もなく了解して工事が始まりました。また、この時点で建築士との間での話し合いは無くなり、全て大工さんとの話し合いに変わっていったことも事実です。まぁ、この結果大工さんの望むままに建築が進むことになり、後々いろいろイベントが発生するのですが、まぁそれは次の機会にということで...^^; それよりは、次に現地へ訪問した時に見せられた図面というのが、ベニヤ板に墨壺でちょいちょいと書かれた図面で、建築が終わる頃に寒いからと焚き付けにされてしまったことの方が問題だぁ! 要するに今の家、図面残っていないんです...;; まさに昔の建築そのままですな...^^;;

 でも、おかげさまで設計段階よりも数段太い柱で10m通しの床柱が2本も建ってますし、玄関前も立派な梁で支えられているなかなか立派な家が建ちました。建築後既に8年(2003年現在)過ぎましたが未だに何の不具合も起きていません。気温の差が激しい土地でこれだけしっかりした家を建てられる大工さんに当たって本当に良かったです。やはり大工は現地で探すのがいいようですね。^^



■1992/04/?? 図面完成?
 「こんなの駄目だよ!」
 最初に出てきた図面はとても酷いものでした。今回、素人の私は家の設計に関して次のような注文を出していました。

 ・泉郷管理事務所と同じデザイン
 ・家の中に段差を作らない
 ・全て板張りとして和室等は不要
 ・大部屋として細かい仕切りで部屋を分けない
 ・2Fはロフト的に利用したいので屋根の勾配はそのまま
 ・細かい収納は作るな
 既に、この時の設計事務所は消滅していますので会社名は書きませんが、いくら泉郷さんの紹介とはいえこれはいくらなんでも酷かったです。デザインは確かに似たような形になっていたのでそのままになりましたが、そこらじゅうに段差があって、勝手に和室は作るは、細かい仕切りはついてるは、貸し別荘の運営を考えていたので2Fの高さを確保するために屋根が飛び出しているは、あちこちに細かい収納が作られていて、人の話聞いとんのかゴルァ! って感じであきれ果てました。要するに設計した建築士の理想というかいつもの仕事内容がそのまま反映していて、人の希望なんかいつのまにかどっかに行ってしまうんですね。今はこんな建築士はいないと思いますが、玄関が異様に狭くておまけに緑色の床だと説明されたときは絶句しましたねぇ... いくらなんでもこれでは住む方が落ち着かないし、ここまでこちらの意思を無視した設計も珍しいと散々やり直させました。結局、建築士がつけてきた別荘らしい設計というのは全て姿を消し、いわゆる普通の家の図面が完成しました。この時の建築士の言葉が忘れられませんね。「これでは普通の家ですよ。」 <いいんだよ普通の家で! こっちはずっと住むんだからよぉ!

 設計段階で何度となく現地での打ち合わせとかしていますので、貸し別荘にもいろいろと泊まったんですが、とにかく奇をてらった妙な設計の家が多くて、使いにくいわ落ち着かないわ、とにかく普通の家を建てようというのが基本方針でした。みなさんせっかく別荘を建てるのだからと、非常に個性的な家を建てられますがすぐに飽きてしまい、ただただ邪魔で面倒で使いにくいだけの家になってしまい、そのうち来なくなってしまうというパターンが多いようです。私は別荘ではなく、別宅を建てたかったのでこの点だけは本当に気を使いましたね。

設計事務所を選ぶ時は慎重にやりましょう...^^;



■1992/04/?? 借地権って
 いよいよ、気に入った土地を購入するわけですが、この時泉郷さんから提示された条件というのがこれまた初耳でして、借地権を購入していただく事となり、毎年借地料を支払っていただきます。だったんです。この話を初めて聞いたときは結構びっくりしました。なにしろ土地の売り買いが成立しないんですからねぇ。それも借地権を買うとなるといったい誰から買うんだ? なんて感じで疑心暗鬼になるわけですが、よくよく説明を聞いてみると立科の別荘地は泉郷さんが管理を委託されているだけで、土地の所有権は立科町にあるんだそうで、立科町から土地を借りるための権利が売り買いされているという状況だったことが判明しました。それも、一度借地権を買い取って家を建ててしまえば、以後永久に借地権が消滅することは無いとの事。これが借地権を購入して、20年だか放置していると取り上げられてしまうそうです。まぁ、ここに家を建てるつもりですからこれなら土地を買うのと変わらないし、何よりお得なのが将来相続が発生したときに、賃借権は相続税の対象にならないということです。実際にはこの土地(登記上は「原野」)の評価額に対して相続税がかかるようですが、原野300坪の評価額なぞたかが知れていますし、その相続税もまったく問題になりません。つまり、賃借権を買うときに支払ったお金はまぁ償却されてしまったとでも申しましょうか...ってな状況なわけですね。^^; 私の場合は、賃借権を親が支払い、その土地に家を建てるのが私と分担しましたので、登記上の土地は母親の物で、家は私の物になっています。よって、まぁ、将来的には賃借権の相続が発生しますがあまり問題視していません。

#毎年、賃借料と住民税で大体6万円くらい支払っています。
#住民登録はしていないんですが賃借権にかかるみたいですね。
#いろいろ考えられていますねぇ...^^;;

 また、次に安心だったのが賃借権の前所有者が泉郷さんだったことです。これはつまり、何らかの不都合でこの賃借権を処分したくなったとしても、泉郷さんが安泰な限り泉郷さんの適正価格で買い取ってくれるということを意味しますので、買う側にも安心感があります。まぁ、場所的に非常にすばらしいところなので処分には困らないと思いますが、得てして急いで処分したいときに買主は現れませんから、この点も大きなポイントでしょう。実際の話すでに家が建っていますから、万一処分することになってもそのまま貸し別荘の運営ができますから泉郷さんも困らないでしょうね...^^;

 ここで、貸し別荘という言葉が出てきましたが、泉郷さんの事業の一つに貸し別荘の経営というのがありまして、これがまぁよく考えられていまして、個人の所有する別荘を借り上げて貸し別荘として運営し、その売上の何パーセントかを所有者に分配するシステムがあります。つまり、ローンで家を建てるような私の場合は、このシステムを利用して貸し別荘の経営を行えば、売上に応じて利益が上がりますので、これをローンの返済にあてることができるので支払いが非常に楽になるというのが売り文句でした。

 しかぁし、何度となく現地を往復し、何度となく貸し別荘に泊まる機会があったのですが、宿泊者の家の扱いが雑で傷みが激しくあちこち破損してたりしているので、いざ自分たちが使おうとすると修理しなければなりませんし、それらにかかる修理代はよほど酷い破損でなければ自腹になってしまうとのこと。おまけに家具調度類も泉郷さん指定の物を使わなければなりませんし、キッチンや寝具なども限定されたものを使わなければなりません。一番問題だったのが、こちらの設計思想が貸し別荘の尺度にあわず設計変更を求められたことと、ハイシーズンに自分達が使えないことでしょうか? これでは何のための別宅なのかわからなくなってしまいますので、早々に貸し別荘経営は取りやめとして完全な個人別荘として設計施工することとなりました。

 しかしまぁ、よく25才の若輩者にフルローンなんか組ませてくれたものです。そんなに私は信用があるんでしょうかねぇ...^^;;


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